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  2. 取組みの経過

 1995年1月17日午前5時46分、神戸をM7の地震が襲った(阪神淡路大震災)。戦後初めての都市直下地震であり、関連死も含め6434人が亡くなった。もう25年になる。
 僕は当時、東京都職員研修所調査研究室で、首都直下地震の調査研究をしていた。僕は神戸の方々が身代わりになってくれたと感じ、防災をライフワークにした。「明日、首都直下地震が起きてもおかしくない」と言い続け、今に至る。
 確実にその日に近づいている。
 その後、1996年「早稲田いのちのまちづくり」、1999年からの「都民とつくる東京都産業振興ビジョン」で、商店街やNPOの方々とのネットワークができた。
 2000年6月に三宅島噴火が起き、9月に全島避難が行われた。島以外には被害がなかったのだが、ネットの世界では流言飛語が飛び交い、混乱した。
 首都直下では大混乱が起きる。地震が起きる前に、信頼できるネットワークをつくっておくことが重要であると感じた。
 2002年8月、東京いのちのポータルサイト(いのポタ)という任意団体を早稲田大学構内で設立し、安井潤一郎さん(早稲田商店会長)が代表になった。
 2002年12月25日、都庁でNPO法人設立総会を開催した。
 40数名の理事、防災、福祉、まちづくりなど幅広い分野の方々が集まった。
 板橋区防災課長の鍵屋一さん(現、跡見学園女子大学教授)の提案で、「耐震補強推進緊急決議」が採択された。NPOの趣旨、定款には「耐震」の二文字はなく、この頃から重要性が認識されたことが分かる。
 翌2003年初から、僕たちの活動は耐震補強一色になった。
 地元の平塚でも防災まちづくりが始まり、耐震補強モデル事業が行われ、2005年に「平塚・耐震補強推進協議会」を設立した。
 2007年3月、僕は36年勤めた都庁を退職し、フリーランスの生活に入った。
 5月にNPO法人暮らしと耐震協議会設立総会を開き、
 7月に九段会館で心の唄コンサートを開催し、
 8月に、広島県福山市鞆の浦(朝鮮通信使のまち)を初めて訪問し、
 11月に、「鞆・日本の心」イベントを開催した。
 これから数年は、防災・耐震、音楽(施設訪問とコンサート)、各地のまちづくり支援に専念していた。
 そして2011年3月11日、東日本大震災が起きた。